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ブログ - 悩み相談と心の対話の場所 | NPO法人東京メンタルヘルス・スクエア

東京メンタルヘルス・スクエアblog

コロナ自宅療養者の自死について考える。。。

カテゴリ: 生命(いのち) 作成日:2021年01月25日(月)

 

kanashimi

 

 

<誰しもが危機的な状況になりうる>
人にとって死ぬことは最も難しいことですが、誰にでも自ら命を絶つほどに追い詰められてしまうことがあります。

亡くなられた女性が追い込まれた状況を思うと胸が締め付けられる想いですが、コロナ禍のいまの日本社会、特にここ東京の一部の状況がどれだけ危機的であるかがわかるように思います。

 

 

<自殺は社会的な要因で起こる>
というのも、自殺を対人関係の面から究明していこうとするある理論(*1)では、

「自分が周囲の人々や社会にとってお荷物であるという感覚」(*2)や「家族や仲間、集団などの他者から疎外されているという感覚」(*3)この2つが持続的かつ同時に起きているときに自殺願望が生じるとしています。

(裏を返すと、緊急事態宣言下の日本社会は、一歩踏み外すと、こういった自殺願望が生じやすくなってしまっている社会状況といえるのかもしれません。)


具体的には、「自分のせいで」「私が悪い」とか、「迷惑をかけてしまった」「お荷物になってしまった」とか、「私なんかいない方がいい」「私が死んでも誰も困らない」とか、そういった言葉が出てくるときは精神の危機であり、命の危機が迫っているかもしれないと考えられます。

また、言葉は発せずとも、目がうつろであったり、視線が合わなかったり、一点をみつめているなどして、強く思い詰めている感じを受ける場合にも注意が必要です。

食欲がない、眠れない、一人になろうとするといったこともあります。
*1.自殺の対人関係理論 *2.負担感の知覚+罪悪感や自己嫌悪 *3.所属感の減弱

 


<危機的なときにはひとりにしない>
近しい関係の人が危機的と思われるときには、そばで見守ることや、否定せずに落ち着いて話を受け止めることなど、ひとりにしないことが必要です。

また、程度がひどかったり、長引いているときには、心の病の可能性も考えなければなりませんので、心療内科や精神科などの医療機関を受診してみるのがよいでしょう。

 


<あなたは1ミリたりとも間違っていない>
自殺は社会的な要因で引き起こされますが、自殺を防ぐためにも社会的なものが鍵となります。

社会的なものと言いましたが、誰かひとりでいいのです。

誰か一人が自分の大変な状況のことを、その人の立場にたって考えてくれて、親身に寄り添ってくれると人は救われます。


ですので、もし身近に「コロナにかかって迷惑をかけてしまった、申し訳なくて謝りきれない」といった人がいたら、①その人の心持ちをやさしく受け止めて、②そして「あなたは全く悪くないのよ。1ミリたりとも間違っていないから」と言いきって心から伝えてあげるとよいでしょう。


<相談窓口の活用>
その人に声をかけにくかったりする場合など、その人に相談窓口を教えてあげましょう。
また、感染したことがわかったり、その恐れがあったりしても、身近な人には迷惑をかけたくないから、自分の心情をとても言えないという人も多いかもしれません。

そういったときこそ、相談窓口を活用しましょう。

 


<3つ目の感染症「社会的感染症」>
日赤(※)が当初より、「3つの感染症」ということを啓発しています。

いまは、その3つ目の感染症である「社会的感染症」がひしひしと蔓延してきているのだと思われます。

新型コロナ感染の不安や恐怖から、特にコロナにかかっている人に対しての嫌悪・偏見・差別が助長されてしまいかねない状況にあると思われます。

このため、コロナに感染した人は、心情としては<社会的に分断されてしまった>というほどの孤立・孤独に追い込まれてしまいかねません。

(※日赤HP)ttp://www.jrc.or.jp/activity/saigai/news/200326_006124.html


<感染者がこれ以上追い詰められないために>
実はこの社会的な追い込みは感染者を追い詰めるのはもちろんですが、感染者はこれによりコロナに感染したことを口外しにくくなり、つまり隠してしまいたくなります。

同様に感染したかもしれない人も隠そうとする心理状態になります。

となるとさらにウイルス感染が特定されにくくなり、結果としてウイルスを封じ込みにくくなります。

このため、感染者を追い詰めないことは、ウイルスを封じこめるために必須です。


ですので、コロナに感染した人が身近にいたら、怖い気持ちはもちろん誰しもありますので、そこは勇気を振り絞って、「大変な状況だね、でもコロナと教えてくれてありがとう。私に何かできることある? いつでもできることするからなんでも言ってね」などと声をかけてあげられるとよいでしょう。

もちろん、自分自身が感染しないために、オンラインで連絡をとったり、直接接することが避けられない場合には感染防止対策をしっかりとって、身近なその人に関わっていけるとよいでしょう。

 

新型コロナ感染症と同じくらいに怖い「社会的感染症」がこれ以上広がらないように、一人一人が正しい知識を持ちお互いが支えあって行けるようになっていきたいと願っています。

 

2021年1月25日 
カウンセリングセンター長 新行内勝善

 

 

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死の体験旅行

カテゴリ: 生命(いのち) 作成日:2018年08月06日(月)

死の体験旅行

人は死に行くとき、何を見て、何を思うのでしょうか。

 

死に行く道のりを疑似体験するワークショップが「死の体験旅行」です。

 

元々は終末期医療に携わる医師・看護師などのスタッフ向けに実施される、患者さんの立場や気持ちを理解するためのワークショップです。

今回、一般の人向けに実施されたワークショップに参加してきましたので、ご紹介します。

 

「死の体験旅行」では、旅行前の準備として、20枚の小さな紙にひとつづつ、自分にとって「大切なもの」の名前を書き込みます。

そして旅行が始まると、司会者が物語を静かに語ります。

 

「あなたは、体調が優れない日々が続いたある日、意を決して病院に行くことにしました‥‥」

 

物語を聞いているだけなのに、自分のことのように感じられて、思わず引き込まれます。

 

「‥‥会社を休んで、入院することになりました。手元にある紙を一枚選んで、ぐしゃぐしゃに丸めて床に捨ててください」

 

紙に書いただけとはいえ「大切なもの」を丸めて床に捨てる行為には胸が痛みます。

 

物語はゆっくりと、確実に、避けられない運命に向かって進みます。
その間、様々な感情が湧き上がります。
怒り、期待、悲しみ、申し訳なさ、感謝、諦め‥‥。


それらの感情を味わいながら、紙に書いた「大切なもの」をひとつ、またひとつ、捨ててていきます。

「大切なもの」の中にも、簡単に捨てられるもの、なかなか捨てられないものがあることに気づきます。

 

そうして迎えた最期の瞬間。
死ぬ瞬間の気持ちは、想像していたものとは少しだけ違いました。
一番最後まで手元に残った「大切なもの」も意外なもので、自分の選択に驚きました。

 

「死に行く道のりを疑似体験する」ことは、死への道のりを理解するだけではなく「何を大切にして生きるか」に思いを馳せる時間にもなりました。

 

もしあなたが、死の体験旅行に出かけたら。
何を見て、何を思うのでしょうか?

 

『生きてることが辛いなら』

カテゴリ: 生命(いのち) 作成日:2018年05月02日(水)

 

sora

 

 

3月の自殺対策強化月間中に、SNS相談をやったことは、すでに別のブログで報告しました。

 

今回は、その頃、あるいはその前後に、私自身が考えたりしたことを、ひとつ書いてみたいと思います。

 

「死にたい」となると、真っ先に浮かぶ歌は、森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」という歌です。

 

生きてることが辛いなら

いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
3日と経てば元通り

 

こんな歌詞から始まる歌です。

 

今から10年前、2008年夏にシングルリリースされた曲です。


あいにく私はその当時はこの曲を知りませんでしたが、自殺を勧めているような内容にもとれるこの歌が、「過激すぎる」「どきっとした」などと賛否両論が巻き起こったようです。

 

この歌、作詞は直太朗さんの友人で、詩人の御徒町凧さんです。

 

もちろん、この曲は、自殺を勧めているわけではありません。
次のような歌詞でこの歌は終わります。

 

生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ

 

よかったら、この曲、まだの方はお聴きになってみてください。
私は聴いて、歌の力というものをとても実感しました。
感じ方は人それぞれかと思いますが、「生きてることがつらい」という言葉に感じるところがある方には、一聴をおすすめしたい曲です。

 

NPO法人 東京メンタルヘルス・スクエア 理事

SNSカウンセリング リーダー

新行内 勝善

 

 

喪失と再出発

カテゴリ: 生命(いのち) 作成日:2017年09月04日(月)

東京メンタルヘルス・スクエア
理事長 武藤 清榮

 

次男憲司郎が死んだ。死因ははっきり特定できないが、「心臓発作」と言われている。

今、解剖の結果を待っている。享年37歳。息子の人生は、太く、短く、そしてドラマチックだった。


私は夭逝(ようせい)たるを、息子で初めて体験した。子に先立たれることが、いかに不条理であるかを識った。

告別式の齋場の入り口には「故 武藤憲司郎」の垂幕が生々しく貼られていた。唖然として立ち尽し、これ以上の哀しみなどあるものか、と拳を握った。
棺(ひつぎ)の中には、送り人の手によって、穏やかに化粧を終えて旅立たんとする息子がいた。

妻が憲司郎を見るなり、両手で顔を抱き寄せひとつひとつ共有した経験を、まるで言い聞かせるかのように語り続けた。

憲司郎の嫁、友紀は、そっと口唇にキスをしてあげた。何という幸福な息子だろう。

みんなに惜しまれ、愛されて、亡くなったのだ。棺の中には、憲司郎が好きだった黄色いズック靴が入れられていた。

それは、憲司郎の顔の横に置かれ、実に嬉しそうだった。


妻の発案で「チームムトウ」が結成された。「憲司郎もメンバーだね!」長男の収が言った。

「あいよ!」私は出遅れたその勢いで、そう応えた。
妻は「きちんと送ってあげなければね」という言葉を何度も口にした。

 

しかし、その言葉の心は「送りたくなどない!」「一緒にいたい!」「だって家族でしょう!」という意味であることはすぐに理解できた。
『さようならのない別れ』『別れのないさようなら』今は、そんな心境なのである。
この哀しみの果てに何があるだろう。


しばらくは、「時薬(ときぐすり)」を服用し、喪失に震えながら少しずつ気もちを折りたたむことを心掛けよう。

新たな再出発はそれからにしようと思う。

武藤 清榮