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映画『ブルーを笑えるその日まで』を観て,「死にたい」気持ちの理解を深めたい - 悩み相談と心の対話の場所 | NPO法人東京メンタルヘルス・スクエア

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映画『ブルーを笑えるその日まで』を観て,「死にたい」気持ちの理解を深めたい

カテゴリ: 生命(いのち) 作成日:2024年09月11日(水)

 8月31日の子どもの自死増加問題への対策を進めていたちょうどその頃,まさにその自死をテーマにした映画を観てきました。

◆「逃げてもいい」

 まず,この映画を知ったのは,下記の新聞記事からでした。

 

 「今いる場所から逃げてもいい」元不登校の監督が映画に託した思い(毎日新聞,2024年8月26日)

 

 「今いる場所から逃げてもいい」という言葉。これは,緊張とリラックスとでいうと,この言葉は肩の力を抜いてリラックスさせてくれるから、好きな言葉です。

 「逃げちゃいけない」といって頑張ることはとても素晴らしく,美しい。ただ,一方で「逃げちゃいけない」という言葉は,呪縛となり,身体に巻きついてくる蛇のように自分をぐんぐんと苦しめていってしまうこともあるため,注意を要する。

 カウンセラーの仕事をしていて常々思うのは、「逃げちゃいけない」という言葉と同じくらいの影響力をもって,「逃げてもいい」という言葉ももっともっと影響力を持ってほしいということ。

 ストレスにあった時,人は闘争・逃走反応を示す,つまり戦うか逃げるか。これにもある通り,「逃げる」というのは,人間が誕生したときから,いやさらにさかのぼって動物が誕生したときから,脈々とDNAに受け継がれている,極めて上等なストレス対処法。

 

 新聞に戻ると,記事冒頭には,「『この世界では、死なないと優しくしてもらえない』 孤独な少女の言葉から、その映画は始まる。」とあった。

 「死なないと優しくしてもらえない」とてもドキッとした言葉だった。けれども、ある種の現実をまさに言い表しているようにも思え、悲しさも覚えた。

 

 この記事を見た翌日の8月28日、まさに夏休みも終わりの頃、筆者は吉祥寺まで,その映画『ブルーを笑えるその日まで』のアンコール上映を観に行った。

 

◆「死なないと優しくしてもらえない」金魚

 映画のネタバレになってしまわないように,気をつけて書きたい。

 映画では,2年3組で飼育していた金魚の1匹が亡くなり,校庭の大きな木の根元にお墓をつくり生徒が真摯に手を合わせていた。そこでのセリフははっきりと覚えていないが,「誰も生きている間は金魚のお世話なんてしなかったのに,死んだらかわいそうってやさしく言う」といった恨み節の主人公(高2女子)の声がナレーションで入る。

 「死なないと優しくしてもらえない」というのは,金魚のことか!

 

 映画で特に印象的だったのは,かなり進んだところで,突然,RCサクセションの『君が僕を知ってる』が流れたとき。たしか、詩人の谷川俊太郎さんは,詩は音楽に恋をする,嫉妬する,といったようなことを言っていたが,このボーカルの忌野清志郎さんの圧倒的な声が耳に,全身にぶつかってきたとき,音楽の偉大さをまた実感した。その清志郎の声は力強くて,優しくて,温かくて,あっという間に筆者の感情は大きく揺さぶられ動かされた。

 サビでリフレインされる歌詞は,逆説的だが、私たちのかなわぬ願いであるかのように聞こえてしまい、切なくなった。

 「♬わかっていてくれる わかっていてくれる♬」

 

◆川に逃がしてもらった金魚

 ほかにも印象的だったシーンはいくつもあったが,やはり最後のシーンがそうだった。

 主人公は自らのかわいらしい水筒に,クラスで飼育していたもう1匹の金魚を入れて,まだ授業が終わってない学校を飛び出て行こうとする。そのとき友人から声をかけられたとき,主人公が言った言葉「〇〇〇」が最も印象的だった。これは大事なセリフだし,この映画の一番大切なメッセージと思うので,ネタバレとならないように,ここでは伏せておきたい。

 とはいっても、すでに私が強調して上に書いていること(闘争・闘争反応)なので,勘のいい方にはわかってしまうことと思う。

 

 そして最後の最後,主人公は清流に入って,水筒の金魚を川に解き放つ。

 とてもよく出来た映画だと思った。なぜかと言えば,教室の金魚は,孤独で死にたいと思っている主人公のメタファーで,つまり亡くなった金魚もそう,最後に川にリリースされた金魚もそう。

 昔々,さかなくんが,朝日新聞のシリーズ記事のひとつに書いた記事がとても印象に残っている。

 「(いじめられている君へ)さかなクン『広い海へ出てみよう』」(朝日新聞,2015年8月30日)

 筆者にはさかなくんの記事と,この映画のラストシーンがオーバーラップし,とてもすがすがしい気持ちになった。

 

◆「死にたい」気持ちへの理解がさらに広まるように

 この日の映画では,監督の武田かりんさんによる上映後トークショーがありました。そこで,監督が20代であること,また自らが不登校・自殺未遂を経験されていることも話されていました。そして本作は,夏休みの終わりに子どもの自死が多いということを知り,自分で何かできることはないかと考えて製作をされたそうです。また,挿入歌であったRCサクセションの『君が僕を知ってる』は父親が好きな曲でいつも聞いていたことも明かされていました。

 監督はじめ製作スタッフによる作りこみの上手さもあり,本作を通して,監督ご自身の経験・歴史から紡ぎだされたストーリーや音楽が,とてもよく伝わってきました。

 カウンセラーとして活動していて,「死にたい」という気持ちを聞くことが数多くあります。そういったなかでよく考えるのは,この誰もが抱く「死にたい」という気持ちについてのあたたかな理解が,社会でもっとさらに進むといいなと考えています。

 そのため,多くの方が日常接しやすい映画・音楽・文芸といったアートシーンで,「死にたい」気持ちをテーマとした真摯な作品が今後も数多く出ることを願っています。また、そうした文化活動を積極的に応援していきたいと考えています。

 

Blue1

 

左:武田かりん監督,右:武田監督の先輩の脚本家内田裕基さん(トークショーにて筆者撮影)

Blue2

左:武田かりん監督,右:新行内勝善(トークショーにて撮影)

 

※本ブログ記事ならびに写真は,映画監督武田かりんさんに事前に許可をいただき,記事にしました。

 

東京メンタルヘルス・スクエア 副理事長 新行内勝善