映画『ブルーを笑えるその日まで』を観て,「死にたい」気持ちの理解を深めたい
8月31日の子どもの自死増加問題への対策を進めていたちょうどその頃,まさにその自死をテーマにした映画を観てきました。
◆「逃げてもいい」
まず,この映画を知ったのは,下記の新聞記事からでした。
「今いる場所から逃げてもいい」元不登校の監督が映画に託した思い(毎日新聞,2024年8月26日)
「今いる場所から逃げてもいい」という言葉。これは,緊張とリラックスとでいうと,この言葉は肩の力を抜いてリラックスさせてくれるから、好きな言葉です。
「逃げちゃいけない」といって頑張ることはとても素晴らしく,美しい。ただ,一方で「逃げちゃいけない」という言葉は,呪縛となり,身体に巻きついてくる蛇のように自分をぐんぐんと苦しめていってしまうこともあるため,注意を要する。
カウンセラーの仕事をしていて常々思うのは、「逃げちゃいけない」という言葉と同じくらいの影響力をもって,「逃げてもいい」という言葉ももっともっと影響力を持ってほしいということ。
ストレスにあった時,人は闘争・逃走反応を示す,つまり戦うか逃げるか。これにもある通り,「逃げる」というのは,人間が誕生したときから,いやさらにさかのぼって動物が誕生したときから,脈々とDNAに受け継がれている,極めて上等なストレス対処法。
新聞に戻ると,記事冒頭には,「『この世界では、死なないと優しくしてもらえない』 孤独な少女の言葉から、その映画は始まる。」とあった。
「死なないと優しくしてもらえない」とてもドキッとした言葉だった。けれども、ある種の現実をまさに言い表しているようにも思え、悲しさも覚えた。
この記事を見た翌日の8月28日、まさに夏休みも終わりの頃、筆者は吉祥寺まで,その映画『ブルーを笑えるその日まで』のアンコール上映を観に行った。
◆「死なないと優しくしてもらえない」金魚
映画のネタバレになってしまわないように,気をつけて書きたい。
映画では,2年3組で飼育していた金魚の1匹が亡くなり,校庭の大きな木の根元にお墓をつくり生徒が真摯に手を合わせていた。そこでのセリフははっきりと覚えていないが,「誰も生きている間は金魚のお世話なんてしなかったのに,死んだらかわいそうってやさしく言う」といった恨み節の主人公(高2女子)の声がナレーションで入る。
「死なないと優しくしてもらえない」というのは,金魚のことか!
映画で特に印象的だったのは,かなり進んだところで,突然,RCサクセションの『君が僕を知ってる』が流れたとき。たしか、詩人の谷川俊太郎さんは,詩は音楽に恋をする,嫉妬する,といったようなことを言っていたが,このボーカルの忌野清志郎さんの圧倒的な声が耳に,全身にぶつかってきたとき,音楽の偉大さをまた実感した。その清志郎の声は力強くて,優しくて,温かくて,あっという間に筆者の感情は大きく揺さぶられ動かされた。
サビでリフレインされる歌詞は,逆説的だが、私たちのかなわぬ願いであるかのように聞こえてしまい、切なくなった。
「♬わかっていてくれる わかっていてくれる♬」
◆川に逃がしてもらった金魚
ほかにも印象的だったシーンはいくつもあったが,やはり最後のシーンがそうだった。
主人公は自らのかわいらしい水筒に,クラスで飼育していたもう1匹の金魚を入れて,まだ授業が終わってない学校を飛び出て行こうとする。そのとき友人から声をかけられたとき,主人公が言った言葉「〇〇〇」が最も印象的だった。これは大事なセリフだし,この映画の一番大切なメッセージと思うので,ネタバレとならないように,ここでは伏せておきたい。
とはいっても、すでに私が強調して上に書いていること(闘争・闘争反応)なので,勘のいい方にはわかってしまうことと思う。
そして最後の最後,主人公は清流に入って,水筒の金魚を川に解き放つ。
とてもよく出来た映画だと思った。なぜかと言えば,教室の金魚は,孤独で死にたいと思っている主人公のメタファーで,つまり亡くなった金魚もそう,最後に川にリリースされた金魚もそう。
昔々,さかなくんが,朝日新聞のシリーズ記事のひとつに書いた記事がとても印象に残っている。
「(いじめられている君へ)さかなクン『広い海へ出てみよう』」(朝日新聞,2015年8月30日)
筆者にはさかなくんの記事と,この映画のラストシーンがオーバーラップし,とてもすがすがしい気持ちになった。
◆「死にたい」気持ちへの理解がさらに広まるように
この日の映画では,監督の武田かりんさんによる上映後トークショーがありました。そこで,監督が20代であること,また自らが不登校・自殺未遂を経験されていることも話されていました。そして本作は,夏休みの終わりに子どもの自死が多いということを知り,自分で何かできることはないかと考えて製作をされたそうです。また,挿入歌であったRCサクセションの『君が僕を知ってる』は父親が好きな曲でいつも聞いていたことも明かされていました。
監督はじめ製作スタッフによる作りこみの上手さもあり,本作を通して,監督ご自身の経験・歴史から紡ぎだされたストーリーや音楽が,とてもよく伝わってきました。
カウンセラーとして活動していて,「死にたい」という気持ちを聞くことが数多くあります。そういったなかでよく考えるのは,この誰もが抱く「死にたい」という気持ちについてのあたたかな理解が,社会でもっとさらに進むといいなと考えています。
そのため,多くの方が日常接しやすい映画・音楽・文芸といったアートシーンで,「死にたい」気持ちをテーマとした真摯な作品が今後も数多く出ることを願っています。また、そうした文化活動を積極的に応援していきたいと考えています。
左:武田かりん監督,右:武田監督の先輩の脚本家内田裕基さん(トークショーにて筆者撮影)
左:武田かりん監督,右:新行内勝善(トークショーにて撮影)
※本ブログ記事ならびに写真は,映画監督武田かりんさんに事前に許可をいただき,記事にしました。
東京メンタルヘルス・スクエア 副理事長 新行内勝善
コロナ自宅療養者の自死について考える。。。
<誰しもが危機的な状況になりうる>
人にとって死ぬことは最も難しいことですが、誰にでも自ら命を絶つほどに追い詰められてしまうことがあります。
亡くなられた女性が追い込まれた状況を思うと胸が締め付けられる想いですが、コロナ禍のいまの日本社会、特にここ東京の一部の状況がどれだけ危機的であるかがわかるように思います。
<自殺は社会的な要因で起こる>
というのも、自殺を対人関係の面から究明していこうとするある理論(*1)では、
「自分が周囲の人々や社会にとってお荷物であるという感覚」(*2)や「家族や仲間、集団などの他者から疎外されているという感覚」(*3)この2つが持続的かつ同時に起きているときに自殺願望が生じるとしています。
(裏を返すと、緊急事態宣言下の日本社会は、一歩踏み外すと、こういった自殺願望が生じやすくなってしまっている社会状況といえるのかもしれません。)
具体的には、「自分のせいで」「私が悪い」とか、「迷惑をかけてしまった」「お荷物になってしまった」とか、「私なんかいない方がいい」「私が死んでも誰も困らない」とか、そういった言葉が出てくるときは精神の危機であり、命の危機が迫っているかもしれないと考えられます。
また、言葉は発せずとも、目がうつろであったり、視線が合わなかったり、一点をみつめているなどして、強く思い詰めている感じを受ける場合にも注意が必要です。
食欲がない、眠れない、一人になろうとするといったこともあります。
*1.自殺の対人関係理論 *2.負担感の知覚+罪悪感や自己嫌悪 *3.所属感の減弱
<危機的なときにはひとりにしない>
近しい関係の人が危機的と思われるときには、そばで見守ることや、否定せずに落ち着いて話を受け止めることなど、ひとりにしないことが必要です。
また、程度がひどかったり、長引いているときには、心の病の可能性も考えなければなりませんので、心療内科や精神科などの医療機関を受診してみるのがよいでしょう。
<あなたは1ミリたりとも間違っていない>
自殺は社会的な要因で引き起こされますが、自殺を防ぐためにも社会的なものが鍵となります。
社会的なものと言いましたが、誰かひとりでいいのです。
誰か一人が自分の大変な状況のことを、その人の立場にたって考えてくれて、親身に寄り添ってくれると人は救われます。
ですので、もし身近に「コロナにかかって迷惑をかけてしまった、申し訳なくて謝りきれない」といった人がいたら、①その人の心持ちをやさしく受け止めて、②そして「あなたは全く悪くないのよ。1ミリたりとも間違っていないから」と言いきって心から伝えてあげるとよいでしょう。
<相談窓口の活用>
その人に声をかけにくかったりする場合など、その人に相談窓口を教えてあげましょう。
また、感染したことがわかったり、その恐れがあったりしても、身近な人には迷惑をかけたくないから、自分の心情をとても言えないという人も多いかもしれません。
そういったときこそ、相談窓口を活用しましょう。
<3つ目の感染症「社会的感染症」>
日赤(※)が当初より、「3つの感染症」ということを啓発しています。
いまは、その3つ目の感染症である「社会的感染症」がひしひしと蔓延してきているのだと思われます。
新型コロナ感染の不安や恐怖から、特にコロナにかかっている人に対しての嫌悪・偏見・差別が助長されてしまいかねない状況にあると思われます。
このため、コロナに感染した人は、心情としては<社会的に分断されてしまった>というほどの孤立・孤独に追い込まれてしまいかねません。
(※日赤HP)ttp://www.jrc.or.jp/activity/
<感染者がこれ以上追い詰められないために>
実はこの社会的な追い込みは感染者を追い詰めるのはもちろんですが、感染者はこれによりコロナに感染したことを口外しにくくなり、つまり隠してしまいたくなります。
同様に感染したかもしれない人も隠そうとする心理状態になります。
となるとさらにウイルス感染が特定されにくくなり、結果としてウイルスを封じ込みにくくなります。
このため、感染者を追い詰めないことは、ウイルスを封じこめるために必須です。
ですので、コロナに感染した人が身近にいたら、怖い気持ちはもちろん誰しもありますので、そこは勇気を振り絞って、「大変な状況だね、でもコロナと教えてくれてありがとう。私に何かできることある? いつでもできることするからなんでも言ってね」などと声をかけてあげられるとよいでしょう。
もちろん、自分自身が感染しないために、オンラインで連絡をとったり、直接接することが避けられない場合には感染防止対策をしっかりとって、身近なその人に関わっていけるとよいでしょう。
新型コロナ感染症と同じくらいに怖い「社会的感染症」がこれ以上広がらないように、一人一人が正しい知識を持ちお互いが支えあって行けるようになっていきたいと願っています。
2021年1月25日
カウンセリングセンター長 新行内勝善
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死の体験旅行
人は死に行くとき、何を見て、何を思うのでしょうか。
死に行く道のりを疑似体験するワークショップが「死の体験旅行」です。
元々は終末期医療に携わる医師・看護師などのスタッフ向けに実施される、患者さんの立場や気持ちを理解するためのワークショップです。
今回、一般の人向けに実施されたワークショップに参加してきましたので、ご紹介します。
「死の体験旅行」では、旅行前の準備として、20枚の小さな紙にひとつづつ、自分にとって「大切なもの」の名前を書き込みます。
そして旅行が始まると、司会者が物語を静かに語ります。
「あなたは、体調が優れない日々が続いたある日、意を決して病院に行くことにしました‥‥」
物語を聞いているだけなのに、自分のことのように感じられて、思わず引き込まれます。
「‥‥会社を休んで、入院することになりました。手元にある紙を一枚選んで、ぐしゃぐしゃに丸めて床に捨ててください」
紙に書いただけとはいえ「大切なもの」を丸めて床に捨てる行為には胸が痛みます。
物語はゆっくりと、確実に、避けられない運命に向かって進みます。
その間、様々な感情が湧き上がります。
怒り、期待、悲しみ、申し訳なさ、感謝、諦め‥‥。
それらの感情を味わいながら、紙に書いた「大切なもの」をひとつ、またひとつ、捨ててていきます。
「大切なもの」の中にも、簡単に捨てられるもの、なかなか捨てられないものがあることに気づきます。
そうして迎えた最期の瞬間。
死ぬ瞬間の気持ちは、想像していたものとは少しだけ違いました。
一番最後まで手元に残った「大切なもの」も意外なもので、自分の選択に驚きました。
「死に行く道のりを疑似体験する」ことは、死への道のりを理解するだけではなく「何を大切にして生きるか」に思いを馳せる時間にもなりました。
もしあなたが、死の体験旅行に出かけたら。
何を見て、何を思うのでしょうか?
『生きてることが辛いなら』
3月の自殺対策強化月間中に、SNS相談をやったことは、すでに別のブログで報告しました。
今回は、その頃、あるいはその前後に、私自身が考えたりしたことを、ひとつ書いてみたいと思います。
「死にたい」となると、真っ先に浮かぶ歌は、森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」という歌です。
生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
3日と経てば元通り
こんな歌詞から始まる歌です。
今から10年前、2008年夏にシングルリリースされた曲です。
あいにく私はその当時はこの曲を知りませんでしたが、自殺を勧めているような内容にもとれるこの歌が、「過激すぎる」「どきっとした」などと賛否両論が巻き起こったようです。
この歌、作詞は直太朗さんの友人で、詩人の御徒町凧さんです。
もちろん、この曲は、自殺を勧めているわけではありません。
次のような歌詞でこの歌は終わります。
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ
よかったら、この曲、まだの方はお聴きになってみてください。
私は聴いて、歌の力というものをとても実感しました。
感じ方は人それぞれかと思いますが、「生きてることがつらい」という言葉に感じるところがある方には、一聴をおすすめしたい曲です。
NPO法人 東京メンタルヘルス・スクエア 理事
SNSカウンセリング リーダー
新行内 勝善
喪失と再出発
東京メンタルヘルス・スクエア
理事長 武藤 清榮
次男憲司郎が死んだ。死因ははっきり特定できないが、「心臓発作」と言われている。
今、解剖の結果を待っている。享年37歳。息子の人生は、太く、短く、そしてドラマチックだった。
私は夭逝(ようせい)たるを、息子で初めて体験した。子に先立たれることが、いかに不条理であるかを識った。
告別式の齋場の入り口には「故 武藤憲司郎」の垂幕が生々しく貼られていた。唖然として立ち尽し、これ以上の哀しみなどあるものか、と拳を握った。
棺(ひつぎ)の中には、送り人の手によって、穏やかに化粧を終えて旅立たんとする息子がいた。
妻が憲司郎を見るなり、両手で顔を抱き寄せひとつひとつ共有した経験を、まるで言い聞かせるかのように語り続けた。
憲司郎の嫁、友紀は、そっと口唇にキスをしてあげた。何という幸福な息子だろう。
みんなに惜しまれ、愛されて、亡くなったのだ。棺の中には、憲司郎が好きだった黄色いズック靴が入れられていた。
それは、憲司郎の顔の横に置かれ、実に嬉しそうだった。
妻の発案で「チームムトウ」が結成された。「憲司郎もメンバーだね!」長男の収が言った。
「あいよ!」私は出遅れたその勢いで、そう応えた。
妻は「きちんと送ってあげなければね」という言葉を何度も口にした。
しかし、その言葉の心は「送りたくなどない!」「一緒にいたい!」「だって家族でしょう!」という意味であることはすぐに理解できた。
『さようならのない別れ』『別れのないさようなら』今は、そんな心境なのである。
この哀しみの果てに何があるだろう。
しばらくは、「時薬(ときぐすり)」を服用し、喪失に震えながら少しずつ気もちを折りたたむことを心掛けよう。
新たな再出発はそれからにしようと思う。
武藤 清榮