喪失と再出発
東京メンタルヘルス・スクエア
理事長 武藤 清榮
次男憲司郎が死んだ。死因ははっきり特定できないが、「心臓発作」と言われている。
今、解剖の結果を待っている。享年37歳。息子の人生は、太く、短く、そしてドラマチックだった。
私は夭逝(ようせい)たるを、息子で初めて体験した。子に先立たれることが、いかに不条理であるかを識った。
告別式の齋場の入り口には「故 武藤憲司郎」の垂幕が生々しく貼られていた。唖然として立ち尽し、これ以上の哀しみなどあるものか、と拳を握った。
棺(ひつぎ)の中には、送り人の手によって、穏やかに化粧を終えて旅立たんとする息子がいた。
妻が憲司郎を見るなり、両手で顔を抱き寄せひとつひとつ共有した経験を、まるで言い聞かせるかのように語り続けた。
憲司郎の嫁、友紀は、そっと口唇にキスをしてあげた。何という幸福な息子だろう。
みんなに惜しまれ、愛されて、亡くなったのだ。棺の中には、憲司郎が好きだった黄色いズック靴が入れられていた。
それは、憲司郎の顔の横に置かれ、実に嬉しそうだった。
妻の発案で「チームムトウ」が結成された。「憲司郎もメンバーだね!」長男の収が言った。
「あいよ!」私は出遅れたその勢いで、そう応えた。
妻は「きちんと送ってあげなければね」という言葉を何度も口にした。
しかし、その言葉の心は「送りたくなどない!」「一緒にいたい!」「だって家族でしょう!」という意味であることはすぐに理解できた。
『さようならのない別れ』『別れのないさようなら』今は、そんな心境なのである。
この哀しみの果てに何があるだろう。
しばらくは、「時薬(ときぐすり)」を服用し、喪失に震えながら少しずつ気もちを折りたたむことを心掛けよう。
新たな再出発はそれからにしようと思う。
武藤 清榮